栗原ゼミナールの誕生ストーリー
中学生の頃から先生になることが夢でした。人に教えることが好きだったし、たぶん、自分でも得意だという実感があったのだと思います。それから、大人があまり好きではありませんでした。だから、反面教師として、自分が先生になろうと決意を固めました。
ぼくが大学4年生に差しかかる頃、コロナウイルスが流行しました。大学の授業は全てオンライン。その日もいつも通りに、時間が来たらパソコンで授業に入り、休み時間になってスマホを触っていたのですが、あるニュースが目に飛び込んできました。
「コロナウイルスによって教育格差が生まれている」
そのとき、なぜだか分かりませんが、自分の心臓が高鳴るのを感じました。
「幸手市の子どもたちはどうなるんだろう?」
いてもたってもいられなくなりました。謎の使命感のようなものに突き動かされ、気がつけば市役所に電話をかけていました。
「ボランティアで勉強を教えるので、ぼくに場所を貸してください!」
母校での教育実習を9月に控えていたこともあり、実習後に、学習支援員として勤務する機会をいただけました。
教育で最も大事なことを教えてくれた先生
心温まるくらい愛情たっぷりの先生
生徒のことをよく観察して的確なアドバイスを送る先生
素晴らしい先生たちの授業をたくさん見学させてもらい、ときには生徒と一緒に授業に参加して、たくさんのことを学ばせていただきました。
それと同時に、いくつかの課題があることも実感しました。
「教育格差」
「幸手市の学力レベル」
「テストの点数至上主義」
「公教育ではカバーできないもの」
を解決するために。
そして、20歳の頃から思い描く
「新しい学校を作りたい」
「寺子屋をやりたい」
「無料の青空教室をやりたい」
そんな夢に向けて。
「よし、ぼくの私塾を開こう。」
こうして、栗原ゼミナールは誕生しました。
