今日は受験対策の3日目。
当初は15~21時の予定が、子どもたちの希望で13~22時の長時間日程に。
それでも、やっぱりすごいなと思ったのは、子どもたちのメリハリのある集中力。
特に「時間を制約した時」。
国語や英語の長文は、速読と精読、「 速さ と 正確さ 」の両方が求められます。
なので、長文を解く時は毎回、制限時間を設けています。
時間という制約は、子どもたちに緊張感を生み出します。
テストや入試の様に、制限時間があることを意識させるだけで、子どもたちの問題への向き合い方はぐんと変わります。
この時、教室内には「ペンで文字を書く音」と「紙を捲る音」しか本当に聞こえません。
それくらいの集中力を生徒は発揮してくれます。
そして、時間を測る理由はもう1つあります。
それは「問題への向き合い方を見直す」ためです。
僕は子どもたちが長文を読んでいる間に、
「どの文章に線や目印をつけているのか」
「どのくらいの時間で、どれくらいの量を読んでいるのか」
「何分で解き終えたか」
1人1人を観察しています。
そうすることで
「今のスピード感で良い」とか「もう少しざっくりで良いからスピードをあげてごらん」と
声をかけることができ、読む速さを身体で覚えてもらいます。
さらに、解答には関係のない文章に線を引っ張っている子には、
「筆者の主張はその文章にあるかな」や「指示語を捉えてごらん」
と指導できますし、
逆に、全く線を引かなかったりする子には、
「二項対立はおさえておこう」や「どの辺りに解答を含んだ文章がある?」
と指導することができます。
そうすると、子どもたちは長文を読むときの「自分の型」を作り始めます。
解答時間が確保できないという子は、自分が引く線の量を減らしたり、
精度の足りない誤答が多い子は、指示語や該当箇所に目印をつけたり、
自分で工夫しながら、自分の型を作り上げていく。
これは正しく、「学びの本質」だと思います。
まずは、こちらが用意した読解方法を「真似る」。
それを「自分でアレンジ」していく。
こうしたプロセスにこそ、「生きる学び」があると思います。
その為には、まずは先生が良い文章の読み手にならなければなりません。
子どもに解かせるだけ解かせて、その後に答えと解説を読むのではなく、
自分自身も読んで十分に検討していなければなりません。
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