以下、講演会の台本と資料になります。
※ フルの動画はこちらから視聴可能です。
データと問題提起
みなさん、この数字は何を意味すると思いますか?

これは、日本で1日に自ら命を絶つ10代の子どもたちの数です。もしかしたら、今日も日本のどこかで、未来ある子どもが2人、命を絶っているのかもしれません。
続いて、この数字は何を表していると思いますか?

これは学校に行っていない不登校の小中学生の数です。全国で約35万人の小中学生が不登校になっているそうです。35万人――これは、久喜市、蓮田市、幸手市、杉戸町、白岡市の人口を全て足した数と同じくらいです。つまり、これらの地域の全員が、もし明日から学校に行かなくなったとしたら――それが今、日本で起こっていることなのです。
いま挙げた、若者の自殺、不登校35万人、その他にも、

変化が激しく予測が困難な「VUCA」の時代、AIによって人間の仕事が奪われるかもしれない、そして、人口の減少。様々な課題があります。
少し視点を下げましょう。本日お集まりの皆さんの地元である、久喜市、蓮田市、幸手市の、2つのデータを持ってきました。

こちらは何の数だと思いますか?これは市内中学生のおおよその人数と、埼玉県内の町や村を除いた市のみの順位です。久喜市は約3500人で15位、蓮田市は約1500人で35位、幸手市は約1100人で40位です。全ての市の数は40個です。つまり、幸手市は最も中学生の少ない市になります。
最後に、昨年に実施された埼玉県学力調査テストの、中学3年生の結果です。

調査対象になった街の数は全てで57個あります。久喜市から順番に見ていきましょう。続いて、蓮田市。最後に、幸手市。
さて、この結果を見て、皆さんはどのように思ったでしょうか?久喜市の場合、人口は多いけれど、教育のレベルは低いのかもしれません。蓮田市の場合、教育のレベルは高いけれど、人口は少ない。そして、幸手市はその両方の問題を抱えていることになります。
教育について考えることは、人間を考えることであり、そして、未来を考えることであると僕は思います。そして、それは地域のことを考えることにも繋がるはずです。もしこのまま何もしなければ、若者は地域を離れ、学校も活気を失い、未来を担う世代が消えてしまいます。「教育の質」を高めることは、地域を守ることでもあるのです。
だからこそ、皆さんと一緒に考えたいのです。「より良い教育とは何か?」を。地元で事業をされている皆さんにとっても、大きな問題になるはずです。ですから、みなさんで一緒に力を合わせ、より良い教育について考えていきましょう。
つかみ
さて、少し重い話になってしまったので、ここで少しリラックスしましょう。みなさん、「先生」と呼ばれたことはありますか?

僕は、年長さんから中学生まで、時には保護者の方にまで毎日「先生」と呼ばれています。そうなると、どんな気分になると思いますか?気をつけていても「自分が偉くなった」気がしてしまうんです。でもぼくは偉くありません。まだ何も成し遂げてはいません。しかも、まともに社会に出ることもなく、大学4年生のときに勢いで塾を開きました。そんな僕が先生と呼ばれている状況に、少し可笑しさも感じていますが、「先生」と呼ばれる立場である以上は、「自分はどうあるべきか」そんな自問自答をしながら、毎日手探りで生きています。
今日の講演についても、「よっしゃ、ちょっとおじさんたちに教えを説こうかな」などと、そんなことは考えておりません。皆さんは「若造がなんだか頑張ってるから聴いといてやるか」とそれくらいの感じでお聴きいただいて、あわよくば、笑ったり、リアクションを取ったり、なんなら大げさに拍手なんかもしていただいて、温かく聴いていただけると、嬉しく思います。
講演のテーマ
さて、今日は人生の大先生であるみなさんと「教育」について考えたいと思っています。

ぼくは今すごくワクワクしています。今日ぼくが話す内容について、どなたか1人でも共感していただける方がおりましたら、その先に「より明るい未来」があると確信しています。推薦していただいた深作さん、何度も打ち合わせの時間をとっていただいた横山さん、そして、この会場にいらっしゃる先輩方皆さんの胸を借りる気持ちで、お話させていただきます。どうぞ宜しくお願い致します。
自己紹介
改めまして、栗原稜と申します。

母方も父方の祖父母の家も幸手にあります。父はアスカル幸手近くの「幸手都市ガス」に勤めており、叔父は幸手で「石塚設備」という水道屋を営んでおります。ぼくも幸手生まれ、幸手育ち、純“幸手人”です。
先月27歳になりました。皆さんからすれば、「まだまだ若造だな」と思われるかもしれませんが、生徒たちを見ていると「もう若くないな」と感じています。地元の公立中を卒業後、県立の越ケ谷高校、その後は立教大学を卒業し、現在に至ります。
開業のストーリー
「なぜぼくが塾を開いたのか」。すごく簡単に言うと、ぼくの夢を叶えるためのスタートが、たまたま塾という形でした。
中学生の頃から先生になることが夢でした。人に教えることが好きだったし、たぶん、自分でも得意だという実感があったのだと思います。それから、周りの大人のことがあまり好きではありませんでした。だから、反面教師として、自分が先生になろうと決意を固めました。
大学4年生に差しかかる頃、コロナウイルスが流行しました。大学の授業は全てオンライン。その日もいつも通り、自宅で時間が来たらパソコンで授業を受けました。休み時間になってスマホを触っていると、ある記事が目に飛び込んできました。
「コロナウイルスによって教育格差が生まれている」と記事でした。
そのとき、なぜだか分かりませんが、自分の心臓が高鳴るのを感じました。
「幸手市の子どもたちはどうなるんだろう?」と
いてもたってもいられなくなりました。謎の使命感のようなものに突き動かされ、気がつけば市役所に電話をかけていました。
「ボランティアで勉強を教えるので、場所を貸してください!」と。
結局、場所を貸すのは難しいと断られてしまったのですが、母校での教育実習を控えていたこともあり、実習後に、学習支援員として勤務する機会をいただけました。素晴らしい先生たちの授業をたくさん見学させてもらい、ときには生徒と一緒に授業に参加して、たくさんのことを学ばせていただきました。それと同時に、いくつかの課題があることも実感しました。「教育格差」「幸手市の学力レベルが低いこと」「テストの点数至上主義になりがちであること」「公教育ではカバーできない領域があること」などです。
そして、20歳の頃から思い描いていた「新しい学校を作る」「寺子屋のような場所を作る」「無料で学べる場所を作る」という夢が、塾という形で動き出しました。こんな次第ですから、一般的な塾とはだいぶ違った路線を走っております。
教育の役割
ここで皆さんに考えてほしいことがあります。教育で大事なことは何だと思いますか?会社のスタッフや後輩、お子さんやお孫さんなど、教える立場である僕たちは何を外してはいけないのかと思いますか?教育で重要なこと、これだけは外してはいけないことが、3つあるとぼくは考えています。「主体性を伸ばす」こと、「環境と機会を作る」こと、「愛情と承認を与える」ことの3つです。

1つ目の、「主体性」。みなさんも想像してみてください。「主体性」がある人と、「主体性」がない人。誰もが、「主体性」のある人になってほしいと思うのではないでしょうか?ぼくは「主体性」という言葉は「与える」という動作に紐づいているのではないかと考えています。例えば、「ものすごくシャイな小学6年生でも、小学1年生と同じチームになると、率先してコミュニケーションをとり始めます」「どれだけ今の自分の学力が低くても、自分の未来をより良くしようと思うと、勉強を頑張れます」つまり、他者にでも自分にでも、「何かを与えようとする」とき、主体性は発揮されているのではないでしょうか。ですから、無理やりやらせるようなスタイルはもう時代遅れだと思います。少しでもその子の主体性を発揮させられるようにするべきではないかと思います。
次に、「環境と機会づくり」です。どこにどんな才能があって、何がその人に刺さるのか、十人十色、いや、百人百色だと思います。なので、大人はその環境を整備し、機会をつくること。でも、それに見返りも求めない。そういう姿勢が重要だと思います。
最後が最も重要な、「愛情と承認」です。「自分は愛されているな」「自分はここにいて良いんだな」「自分のことを認めてもらえているな」そういう風に満たされて始めて、子どもたちは伸び伸びと育っていくのだと思います。どんな人間も、「愛情と承認」を受けることで、自己肯定感を保つことができるのではないでしょうか?
これらの3つの原則を外さないことが重要だと思います。
どのような大人に育てたいか
次に、みなさんは自分のお子さんやお孫さん、後輩やスタッフにどのような大人に育ってほしいと願いますか?「良い大学に行って、良い会社に入って、結婚してマイホームを買って、子どもがいて」そういう指針があった時代は終わりつつあり、幸せの価値観もたくさんあると思います。
なので、ぼくはこういう大人に育てたいと考えています。

「「答え」や「正解」のない時代に、自らの答えを出し、自身の選択を自身の責任で歩み、自分の才能を活かした武器を持ち、他者と手を取り合い、課題に協力できる人」です。
先輩方の皆さん、人生の選択に正解はありましたか? 僕は正解も不正解もないと思っています。ただ、「答え」だけは自分の中にあって、その選んだ答えを自分で正解にすることが重要だと思います。それから、誰にでも才能があると考えています。「勉強は苦手だけど、運動が得意な子、音楽が得意な子、絵が得意な子、パソコンが得意な子、友達が多い子、周囲に気を遣える優しい子」必ず全員に才能があって、その才能を活かすことが大切ではないでしょうか。そして、最後は他者と手を取り、良いチームを作る力です。これは僕自身がいま実感しているところですが、1人の力よりも2人、3人の力の方が大きいです。今後は誰にでもできる仕事は、AIが担ってくれると思います。そうなると、1つでも専門性の高い武器のある人同士が、お互いの弱点を消しながら、チームを組むという時代になるのだと予想しています。そういう意味で、「コミュニケーション力」や「対人スキル」が必須になるのではないでしょうか?
何を育てているのか
そんな大人に育てるために、このようなアプローチで子どもを育てていくのはどうでしょうか?

僕はまず、全員に人間性というものが備わっていると考えています。一般的な塾さんはこの縦軸に「学力」を伸ばすことにフォーカスしていると思います。僕たちはそれに加えて「知的好奇心」と「社会との交流」という軸を持って、子どもたちを指導しております。この多方向へのアプローチを通して、子どもたちの「21世紀型の人間力」を育てています。
わたしのミライ探究ラボ
「学力」以外のアプローチは「わたしのミライ探究ラボ」という企画を通して行っています。

「わたしのミライ探究ラボ」では様々なイベントに取り組み、「子どもたちの才能を発見して可能性を広げる経験」と「他学年の生徒や社会との交流」を大事にしております。これまでに取り組んできたもので言うと、「教室づくりで働くことについて考える」企画、「ボードゲーム大会で戦略的思考力とコミュニケーション力を鍛える」企画、「塾として日本工業大学さんの科学教室に参加」など、様々なイベントに取り組んできました。
いくつか写真や動画にて紹介させていただきます。


まずは、毎年開催している田植えです。この年は参加者も多かったので、田んぼ一帯をみんなで手植えしました。体験後には、となりの田んぼを走るトラクターを見て「機械の発明ってすごいんだな」とか「昔の人が米で争ってたのも分かるな」とか、収穫したお米を食べて「食べ物のありがたみを知った」など、たくさんの学びのある企画でございます。
続いては、10月に行ったハロウィン仮装企画です。




「新たな自分に出会う」をコンセプトに仮装を楽しみながら、年長さんから中学3年生まで、みんなでレクを行いました。「いつもと違った格好で楽しかった」「みんなで思い出に残る写真を撮れて良かった」「他の学年の子とも喋れて楽しかった」のような声が上がっていました。ちなみに僕は、女装して参加しました。結構楽しかったです。なんだか、「可愛くなりたい」ってこういう気持ちなのかなと感じました。スタッフも全員、仮装しています。このイベントの裏テーマは「まずは大人が全力で楽しむ」ということだったので、子どもたちからも大好評でした。
最後に、みなさんもご存知の吉良英敏さんにお越しいただいたものです。

公民分野にて「政治」を学び始める中学3年生に、「本物の政治家の方の話を聴いてみる」というコンセプトでお引き受けいただきました。政治の話に限らず、吉良さんがいま取り組んでいること、なぜ政治家を志し、どのように歩んできたのか、そして、これから高校生になる子たちに伝えたいこと、そのようなテーマでお話しいただきました。こちらは動画がございますので、ご覧くださいませ。
このようにして、2時間ほど、子どもたちも真剣にお話を聴きました。今でも授業中に、「これ吉良さんに教わったよね」という声も出ますし、「吉良さんの話を聴いて、自分の夢に向かって頑張りたい」と言っていた子もいました。こちらの企画はもっと取り組んでいきたいと思っています。輝いている大人にどれだけ出会えるか、それが子どもたちに多くの影響を与えると思います。「世の中にはこんな人もいるんだなあ」と人の話を聴くことで、「自分は共感できるなあ」とか「ちょっとあんな風にはなりたくないなあ」とか、改めて自分自身のことや、進路について考えることができると思います。ぜひ、みなさんのお力を貸していただけると嬉しく思います。
自学
もう1つ特殊な取り組みは「自学」という時間です。



この時間は、生徒が先生になって授業を行います。元々の始まりは、塾を開業する直前に、ボランティアで教えていた子たちに実践していた方法で、自分の苦手な教科か得意な教科を極めるという目的でした。すると、この方法がみんな楽しかったみたいで、ある男の子は「みんなに説明するためにたくさん勉強して、それがうまくできて勉強の楽しさに気づけた」と言ってくれました。
それから、塾をやってきて、間違いなくこの塾で1番勉強しているのは「自分だ」と気づいたのです。生徒に教えるために、新たに学び直して、まずは学校の教科書、それから様々な本を読んで、動画を見て、ラジオを聴いて、知識を習得します。それをうまくまとめて、言語化して伝える。教わる側よりも、教える側になることで、より深い学びを得ることができるのです。
また、自学の時間のもう1つの狙いは「プレゼン力」や「コミュニケーション力」です。中学生たちが45分間、人前に立ち、緊張やプレッシャーを感じながらも、自分の言葉で授業を行なっているのです。こちらも授業の様子がございますので、ご覧ください。
このようにして、中学生たちが授業を行っています。いま、高1のとある男の子。本当にシャイでコミュニケーションをとるのが苦手な子でした。とあるイベントのときは、ドアの後ろに体育座りで隠れているような子でした。その子も最初はずっと黒板を見ていて、声も小さくて、上手く説明もできない状態でした。でも、数をこなしていくうちに、友達の顔を見て反応を確かめるようになったり、自信を持って話すようになりました。
実は、ぼくもずっと赤面症だったのです。小学5年生から大学生まで、人前で話すのが苦手で、そういう授業がある日は、いつもびくびくしていました。でも、いまはすっかりこの通りです。慣れと何度かの成功体験で、そんな僕でも、毎日生徒の前で授業を行い、いまもこうして皆さんの前で話すことができるようになりました。
教育が抱える課題
続いて、現在の教育が抱える問題について3つ考えたいと思います。

5教科の「言語知能」が評価対象になりがちであること、社会で求められるスキルとギャップがあること、教育格差が存在することです。
まず、テストの点数だけではなく、様々な「評価軸」があるべきだと思います。僕の経験ではありますが、小学1・2年生頃までは、みんな楽しそうに勉強します。「できるようになりたい」という思いが誰にでもあるんだと思います。でも、3年生・4年生頃から、少し変わってきます。「ぼくは勉強が嫌い」「私は苦手だからやりたくない」とそういう子が出てきます。なぜだと思いますか?僕は「防衛本能」だと思うのです。皆さんもご自身の経験を思い出してみてください。例えば、自分にとっては苦手なこと、どれだけ頑張ってもなかなか成果が出ないことを、隣の人はいとも簡単にやってみせる。それに点数をつけられる。そうしたら、やる気ってなかなか起きないですよね。子供たちもそれと同じで、「頑張ってもなかなかできないこと」「人よりも不得意なこと」から目を背けたくなるのは当然で、「嫌い」「苦手」という理由で、始めから取り組まないという選択を取るのも、おかしくないと思います。
もう1つは、「評価され待ちの教育が自己肯定感を下げている」と思います。小学生の頃に、絵で金賞を決め、書き初めで金賞を決め、持久走大会で1位を決め、様々な分野で順位を争ってきませんでしたか?僕は「競争」を否定するわけではありません。「競争」があるからこそのメリットもたくさんあります。僕が主張したいことは「もっと様々な種類の評価があれば良いのではないか」ということです。例えば、友達がたくさんいる子。協調性の高い子など、性格へのアプローチ。パソコンが得意な子。人前で話すのが得意な子など、スキルへのアプローチ。こうした能力が「学力」と同じくらい評価される社会になったら、もっと子どもたちは前向きに自信を持って生きられるのではないでしょうか?
続いて、単純な暗記ゲームをこれ以上やるのか?という問題です。皆さんも歴史で人物の名前を覚えたり、数学で因数分解などを学んだと思います。いまそれを使う場面はありますか?
ときどき、子供たちにこんな質問をされることがあります。「この勉強って将来、役に立つんですか?」と。僕はこう言います。「普通に生きてたら使うことはないよ。」と。僕は学ぶことが好きだし、好奇心も強い方なので、たくさんの本を読んだり、ラジオで歴史を学ぶこともあります。ただ、「暗記」と言われたらあまりやりたくはないですよね。学校のテストや高校入試などは、まず暗記というスキルからは切っても切り離せません。ですが、これだけインターネットの発達した時代です。スマホで検索すれば知識はすぐに出てきますし、子どもたちも人工知能を活用しているのです。これからはただ単にインプットするだけでなく、クリエイトする力の方が重要なはずです。
最後に、教育格差について。主な原因は、「経済格差」によるものが大きいと思います。僕は塾を開く前にボランティアで5人の中3生を教えました。そのうちの2人は塾に通っていなくて、1人の子は、「私立入試を受けさせてくれなかった」という状況でした。彼女は公立入試で落ちてしまうと行き先がなくなってしまう。だから、行きたかった志望校から1つ下げた高校を受験することにもなりました。それから2年後、彼女から相談がありますと連絡が来ました。「大学に進学したいのだけれどお金がない」というものでした。他にも、「友達をイベントに連れていきたいのだけど、参加料を親が出してくれないから」という子もいましたし、「友達がこの塾に入りたいんだけど、お金がないから自習室だけ使ってもいいですか」そんな子もいました。
ぼくは全員にOKを出しました。ぼくにとって一番嫌なことは機会の不平等と不公平です。ぼくはお金儲けがしたいわけではありません。塾というのはお金を生むための手段でしかありません。みなさんに喜んでもらいながら、いただいたお金をうまく回して、支援を広げようと思っています。なので、もっと事業を成長させながら、子どもたちへの支援に力を注いでいきたいと思います。
新しい教育について
さて、これらの課題を解決するために、3つの提案があります。

1つ目に、地域全体が“学び場”になるというものです。「学校の先生だけではなく、もっと多くの様々な大人の手で育む」ということです。子どもたちを教育するのはご家庭の保護者、学校の先生がほとんどだと思います。みなさんが子供の頃はどうでしたか?近所のおじさんやおばさんなど、地域の方にも育てられたのではないでしょうか。僕はこれから益々、子育てしている保護者が求めるもの、学んでいる子供たちが求めるものを学校だけが提供するのは難しくなってくるのではないかと思っています。なので、学校の外側にも様々な「先生」がいても良いのではないでしょうか。
2つ目に、「テストの点数では評価できないスキルを習得する」ということです。前に述べたように、「勉強」という評価軸以外にも子供たちの才能を活かせるようなスキルを身につけさせて、チャレンジさせるべきです。そうすれば、もっと多様性があって好奇心に溢れる子供たちが増えると思います。
最後に、教育格差をなくすために、金銭面的な理由で学習機会を逃している子へのサポートを実践することです。地域の子供たちを地域の大人で育てるためには、お金が必要になると思います。Win-winの関係性で双方にメリットがあるような仕組みを作ってみませんか?
「スクーモ」の設立
さて、これらの教育を実践するために、僕は決断しました。「塾」という枠を超え、新しい学びの場を作る。そのために、「栗原ゼミナール」を卒業し、新たに株式会社として「スクーモ」を設立します。

「スクール」と「ホーム」、それに加えてもう一つの学びの場というイメージです。「スクーモ」ではこれまでの勉強に加えて、このように、様々なジャンルの学びを提供します。例えば、今月は「アート」月間としたら、毎週土曜日に、アートを学んでいきます。先生は「芸術」が得意な方に担当してもらい、企画と授業を行います。「ライフマネジメント」では、先ほどご紹介した吉良さんのように、様々な職種の人、様々な経歴の人を呼んで、子供たちが進路について考えられるきっかけを作ります。皆さんにもぜひ、スポットでお力を貸していただければと思います。
「スクーモ」での活動
また、「スクーモ」で取り組んでいきたい活動がいくつかあるので、提案させていただきます。1つ目は「まちの探検隊」という企画です。

「まちの魅力」を探求することをコンセプトに、地域の方が先生となり、地元について学び、地域資源を活用したプロジェクトを企画・実践していきます。例えば、地元の特産品を活かした商品開発やPR動画作成、地域住民や観光客向けに発表をします。
2つ目は「まちの発信隊」という企画です。

中高生を対象に、SNSや動画制作スキルを学ぶ講座を開き、地域の魅力を若い視点で発信し、観光誘致や移住促進を狙います。地元企業や観光名所のPR動画を制作し、子どもたちが制作したコンテンツを自治体や観光協会と連携して発信します。
3つ目は「まちのデザイン」という企画です。

子どもたちが解決策を提案するコンテストです。行政や地元企業が協力し、優秀なアイデアは実現に向けてサポートします。例えば、商店街活性化のアイディアコンテストや町おこしのアイディアコンテストなどを開きます。
締め
さて、以上で僕からの講演は以上になります。最後になりますが、僕が大事にしている言葉を1つ紹介します。

「人生の価値は、何を得るかではなく、何を残すかにある」。教育も、地域も、みなさんで力を合わせれば、必ず未来は明るくなるはずです。ぜひ、一緒に地域を盛り上げましょう。拙い内容でしたが、ご清聴いただきりがとうございました。
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